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神戸地方裁判所 平成10年(ワ)2778号 判決 2000年11月27日

原告 門間隆夫

右訴訟代理人弁護士 福井茂夫

前田貞夫

被告 国

右代表者法務大臣 保岡興治

右指定代理人 下村眞美

他8名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(主位的請求、予備的請求とも)

1  被告は、原告に対し、金一四九円六五銭及びこれに対する昭和二三年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  主位的請求(郵便貯金払戻請求)

(一) 原告は、昭和一八年三月二八日から昭和一九年八月五日に南方(台湾経由でフィリピン)に転属するまで、日本国陸軍兵士として満州国三江省樺川県佳木斯に配属された。

(二) 原告は、餞別や軍の給金等合計一五〇円を所持していたが、昭和一九年八月五日に佳木斯を出発するに際し、佳木斯に残留する部隊(以下「残留部隊」という。)に右金員の実家あての送金を依頼した。

(三) 原告から実家あての送金依頼を受けた佳木斯の残留部隊のいずれかの隊員が、右金員を満州国牡丹江郵便局へ預け入れ、同局が発行した額面一四九円六五銭の「儲金取款證書」(一五〇円との差額である三五銭は手数料と思われる。以下「本件払戻証書」という。)は、昭和二一年二月ころに原告の実家に到達した。

(四) 本件払戻証書到達後、原告の父、更に、復員後は原告も豊岡郵便局に郵便貯金の払戻しを求めたが、同郵便局は、昭和二二年末ころには、満州国は既に存在しないとの理由で払戻しを拒否した。

(五) 原告は、その後も様々な問い合わせをしたが、右と同様の返答しか得られず、現在に至るも本件払戻証書による郵便貯金の払戻しを受けられていない。

(六) 日本国と満州国との間において、「満州国に於ける治外法権の撤廃及南満州鉄道附属地行政権の移譲に関する日本國満州國間条約(昭和一二年条約第一五号)」、「満州國に於ける治外法権の撤廃及南満州鉄道附属地行政権の移譲に関する日本國満州國間条約附属協定(乙)(昭和一二年一一月九日)」、「満州國に於ける治外法権の撤廃及南満州鉄道附属地行政権の移譲に関する日本國満州國間条約附属協定(乙)附属業務協定(昭和一二年一一月三〇日)」がそれぞれ締結され、昭和一二年一二月一日から、満州国内において、日本国で発行された通帳による郵便貯金の払戻しが開始され、その後、右附属業務協定了解事項に基づく両国郵政当局間の合意(「満州國郵便貯金の払戻に関する事務取扱開始の件(昭和一四年一月二一日)」)により、昭和一四年二月一日からは、日本国内において、満州国発行の「儲金取款證書」による郵便貯金の払戻しが開始された(以下、日本国満州国間の右四合意を併せて「本件条約等」という。)。

(七) 満州国は、日本国が昭和六年九月一八日の関東軍による柳条溝爆破事件に端を発して満州への武力侵略を進めた後に、満州に対する日本国の実質的独占支配を隠蔽するための仮装として設立されたものであり、形式的には独立国家の形態をとってはいたが、実質的には自主的独立的権限のない日本国の傀儡国家にすぎず、日本国の領土の一部であったといえる。

右は、日本国が、第二次世界大戦を終了するに当たって、満州国に対する日本国の支配が違法、すなわち、満州に対する管轄権が日本国にあったとの国際的な認識を受け入れたこと(日本国が受諾したポツダム宣言八項に「『カイロ宣言』の条項は、履行せらるべく」との文言があり、カイロ宣言には「満州、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から窃取したすべての地域を中華民国に返還すること」との文言がある。)から明らかである。

したがって、形式的には満州国郵政当局の発行した「儲金取款證書」も、実質的には日本国郵政当局が発行したものと同視できる。

2  予備的請求

(一) 寄託物返還請求

(1) 原告は、南方への転属を命じられた際、大隊、ひいては、日本国の代表者である天皇から、所持する金銭は部隊を通じて実家に送金するようにとの指示を受けた。

具体的には、右送金は、小隊ごとに明細を記載して金銭を担当上官に預け、担当上官が残留部隊の実務担当者に命じて、金銭を順次満州国郵便局に預け入れて払戻証書の発行を受け、払戻証書を各人の実家へ送付するという方法により、組織的に行われていた。

(2) 原告は、右指示により、昭和一九年八月五日に佳木斯を出発する前に、実家へ送金する一五〇円を所属していた第三大隊歩兵砲小隊を経由して日本軍(歩兵第三九連隊)に寄託した。

(3) 右寄託の際、原告が送金方法を指定したことはなく、日本軍が、その判断において、満州国郵便局に右金員を預け入れ、同局発行の本件払戻証書を原告の実家に送付するという方法を採ったにすぎないから、本件払戻証書を送付したことにより被告の寄託物返還義務が履行されたとはいえず、被告は、原告に対し、寄託金一五〇円の返還義務を負う。

(二) 債務不履行に基づく損害賠償請求

(1) 原告は、昭和一九年八月五日に南方に向けて佳木斯を出発する前に、残留部隊に一五〇円を預けて、実家あての送金を依頼した。

(2) 原告から現金一五〇円を預かった残留部隊は、原告が南方に出発した昭和一九年八月から約八か月も経過し、日本国の敗戦と満州国の消滅が必至の状況となった昭和二〇年四月一七日ころになって、ようやく送金手続(満州国郵便局への預け入れ)を行った。

(3) 原告が南方へ出発した後、速やかに手続が行われていれば、満州国が消滅する以前に本件払戻証書を現金化することは十分可能だったのであり、原告が本件払戻証書を現金化できなかったのは、被告が、相当な時期に相当な方法で送金すべき善管注意義務を怠ったこと、すなわち、送金手続を執るのが遅れ、しかも、執った手続も消滅の予定されている国の郵便貯金という方法であったことによるといえる。

したがって、被告は、原告に対し、右送金依頼契約の債務不履行に基づき損害賠償義務を負う。

3  よって、原告は、被告に対し、主位的に、本件条約等により昭和一四年二月一日から開始された取扱いにより、あるいは、1(七)記載のとおり満州国発行の「儲金取款證書」は日本国郵政当局発行のものと同視できることにより、本件払戻証書に基づき、その額面額である金一四九円六五銭及びこれに対する原告が払戻しを最終的に拒否された後である昭和二三年一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、予備的に、2(一)記載の寄託物返還請求権、あるいは、2(二)記載の送金依頼契約の債務不履行による損害賠償請求権に基づき、寄託金(預け金)一五〇円の内金一四九円六五銭及びこれに対する昭和二三年一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1(一)  請求原因1のうち、(一)ないし(五)は不知、(六)は認め、(七)は否認ないし争う。

(二) 後記抗弁1のとおり、日本国と満州国との間の本件条約等は、満州国の消滅により失効しており、また、原告が預け入れた郵便貯金の預入先は満州国であり日本国ではないところ、満州国が日本国と同一の国であるとの原告の主張については何ら立証されていない。

2(一)  請求原因2(一)のうち、(1)、(2)は不知、(3)は不知ないし争う。

(二) 仮に、原告が、日本軍あるいはその担当官に、両者間の取決めに基づいて、一五〇円を預け、預け金相当額の返還が約束されていたとしても、右返還義務が直ちに日本国に帰属するとはいえない。

すなわち、日本国が右金員の返還義務を負っているというためには、根拠となる法規が必要であり、かつ、日本軍の担当官がその公務に基づく国の代表者として、金員の返還を約して、原告から金員を預かったことが必要である。

しかしながら、本件においては、右の点についての主張・立証がなされておらず、被告が原告主張の金員返還義務を負うことはない。

(三) また、仮に、原告と日本軍の担当官との間に何らかの約束があったとしても、原告の主張によれば、その約束は、預かった現金相当額を原告に返還するというものではなく、いったん現金を満州国郵便局に貯金し、払戻証書を自宅に送付するという内容のものであったと考えられる。

したがって、原告と日本軍の担当官との間の約束は寄託契約とはいえず、寄託物返還請求権に基づき現金相当額の返還を求める予備的請求は理由がない。

(四) なお、原告本人尋問の結果によれば、原告が残留部隊に預けたのは満州国の貯金証書と印鑑である上、原告の実家に送金する時期についても送金方法についても、特に約束されていなかった。

したがって、仮に、原告と日本軍との間に何らかの契約があったとしても、本件払戻証書が原告の実家に送付されたことにより、右契約に基づく債務は既に履行されたというべきである。

3(一)  請求原因2(二)のうち、(1)は不知、(2)、(3)は不知ないし争う。

(二) 前記のとおり、原告と日本軍との間で、原告の実家に送金する時期についても送金方法についても、特に約束されてはいなかったのであり、残留部隊が原告から預かった貯金証書及び印鑑について、満州国郵便貯金として預け入れたこと及び本件払戻証書の実家への送付が昭和二一年春ころになったことが、被告の債務不履行となるものではない。

三  抗弁

1  本件条約等の失効(請求原因1に対し)

満州国は、昭和二〇年八月に消滅したので、かつて日本国が満州国との間で締結した本件条約等は、満州国の消滅の時点でその効力を失った。

2  消滅時効(請求原因1、2(一)、(二)に対し)

(一) 原告は、昭和二一年一〇月に帰還した後、昭和二二年末ころまでの間は、郵便局に対して払戻請求をしたこともあるようであるが、それ以後、本訴に至るまで、被告に対し法的な請求をしていない。

(二) 被告は、原告に対し、平成一二年九月二五日の本件口頭弁論期日において、予備的に右時効を援用した。

四  抗弁に対する認否

抗弁1、2は否認ないし争う。

五  再抗弁

権利濫用(抗弁2に対し)

(一)  原告の父は、貯金証書が到着後直ちに、日本国郵便局に出向いて払戻請求をし、原告自身も帰還後直ちに同様の手続を行っている。しかし、被告の機関である郵便当局の回答は、本訴での主位的請求に対する答弁と同様に、満州国は存在しないから払戻しには応じられないというものであった。

(二)  被告は、戦後一貫して右立場を採り続けているのであり、今になって時効を援用するのは権利の濫用というべきである。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁は不知ないし争う。

理由

一  《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

1  原告は、昭和一八年一月一〇日、現役志願兵として姫路(歩兵第一一一連隊)に入営し、その後、昭和一八年三月に日本国を出発し、同月二八日、満州国三江省樺川県佳木斯に到着し、歩兵第三九連隊に配属された。

昭和一九年七月二五日、原告の所属する歩兵第三九連隊に南方への動員命令が下り、原告らは、同年八月五日に佳木斯を出発した。

2  原告らは、佳木斯に配属されている間、給与として支給された現金を、手元に置くことのできる金額を除いて、個々人ごとの通帳(《証拠省略》と同様のもの)に入金して管理していた(通帳や印鑑は私物として個人で保管していた。)。入金手続は、中隊毎の担当官に入金する現金と通帳を渡して行われていた。

3  佳木斯から南方への動員命令に際し、連隊からの指示で、原告は、写真などの私物を軍事郵便で実家あてに送るとともに、一五〇円が入金された通帳と印鑑を残留部隊の担当官に預け、実家への送付・送金を託したところ、その際、送付・送金方法及び送付・送金の時期について、特段の取決めはされていなかった。

4  原告が預けた通帳と印鑑については、昭和二〇年四月一七日、満州国牡丹江郵便局に郵便貯金として預け入れられ、額面額一四九円六五銭の本件払戻証書が発行され、その後、本件払戻証書は昭和二一年二月ころ、原告の実家に到着した。

5  原告の父は、本件払戻証書到達後、直ぐに豊岡郵便局に対して払戻請求したが、満州国は既に消滅したとの理由で扱い不能とされ、払戻しを受けられなかった。

また、昭和二一年一〇月一七日に本邦に復員した原告も、実家に戻って間もなく、豊岡郵便局に対して払戻請求をしたが、払戻しを受けられなかった。

二  主位的請求(郵便貯金払戻請求)について

1  前記一認定のとおり、原告は残留部隊に一五〇円が入金された通帳と印鑑を預けて実家あての送付・送金依頼をしたこと、残留部隊は、右依頼に基づいて、満州国郵便局に郵便貯金として預け入れ、満州国郵便局から本件払戻証書が発行されたことの各事実が認められ、また、日本国と満州国との間において、本件条約等が締結されたことにより、昭和一四年二月一日から、日本国内において満州国発行の「儲金取款證書」による郵便貯金の払戻しが開始されたことは当事者間に争いがない。

2  そこで、抗弁1について検討するに、条約は国家間の合意であって、その間に国際法上の拘束力をもつものであるが、二国間条約は、その一方の当事国が存在しなくなれば、拘束力を及ぼす対象を失い、国際法上当然に失効するものと解されるところ、満州国が第二次世界大戦の終了に伴い昭和二〇年八月に消滅したことは、当裁判所に顕著であるから、本件条約等は右満州国の消滅により失効したことになる。

したがって、原告が、被告に対し、本件条約等により本件払戻証書の払戻を求めることはできない。

3  次に、原告は、満州国建国の経緯に鑑みれば、同国は満州に対する日本国の実質的独占支配を隠蔽するために設立された傀儡国家にすぎず、日本国の領土の一部であったといえることからして、満州国郵政当局の発行した「儲金取款證書」も、実質的には日本国郵政当局が発行したものと同視できると主張する。

しかしながら、満州国建国に至る経緯や日本国が満州国に対して強い影響力を有していたことから、直ちに、満州国の国家としての主体性が否定されるものではなく、また、本件全証拠によっても満州国郵政当局の発行した「儲金取款證書」が日本国郵政当局が発行したものと同視できると認めるに足りない。

4  よって、原告の本件払戻証書に基づく額面額の払戻しを求める主位的請求は理由がない。

三  予備的請求について

1  寄託物返還請求について

(一)  原告は、南方への転属を命じられた際、大隊から、所持する金銭は部隊を通じて実家に送金するようにとの指示を受け、佳木斯を出発する前に、実家へ送金する一五〇円を残留部隊に寄託したから、被告に対し、寄託物返還請求権に基づき、右寄託金の内金一四九円六五銭の返還を求めると主張する。

(二)  しかしながら、前記一認定のとおり、原告が残留部隊の担当官に預けたのは一五〇円が入金された通帳及び印鑑であって現金ではなかったこと、さらに、原告は残留部隊の担当官に対し、実家あての送付・送金を依頼して右通帳及び印鑑を預けているのであり、通帳及び印鑑の保管を依頼したのではないことからして、原告と残留部隊との間の右合意が現金一五〇円の保管を内容とする寄託契約であったとは解されない。

なお、原告と残留部隊との間の右合意は、いわば送金依頼契約ともいうべきものと解される(右合意を以下「本件送金依頼契約」という。)が、前記一認定のとおり、満州国郵便貯金として預け入れられた後、本件払戻証書を原告の実家あてに送付することにより送付・送金債務は既に履行されている。

2  債務不履行に基づく損害賠償請求について

(一)  原告は、昭和一九年八月五日に佳木斯を出発する前に、残留部隊に実家あての送金を依頼したにもかかわらず、実際に送金手続が執られたのは右送金依頼から約八か月後の昭和二〇年四月になってからであり、しかも、執られた送金方法も当時既に消滅が予定されていた満州国の郵便貯金であったことから、被告には、相当な時期に相当な方法で送金すべき善管注意義務違反があるとして、送金依頼契約の債務不履行を主張する。

(二)  前記一認定のとおり、本件送金依頼契約がなされたのは、昭和一九年八月五日ころであること、残留部隊が右送付・送金手続を執ったのは昭和二〇年四月になってからであること、送付・送金の方法は、満州国郵便貯金として預け入れ、発行された払戻証書を原告の実家あて送付するというものであったこと及び本件払戻証書は昭和二一年二月ころになって原告の実家に到達したことが認められる。

したがって、原告、あるいは、その家族が、本件払戻証書によって払戻請求をしたときには、既に、満州国は消滅しており、その払戻しを受けることができないことに帰していたのであって、結果から見れば、その送付・送金時期が遅きに失し、また、送金方法としても所期の目的を達し得る方法ではなかったともいえる。

しかしながら、原告が残留部隊に送金を依頼したのは、佳木斯配属の原告ら兵士(関東軍の一部)に南方への動員命令が下った時期、すなわち、日本国の戦況が相当深刻な状況になっていた時期であり(甲三、一二)、現場の混乱が容易に予想されること、原告から送金を依頼されたのも残留部隊とはいえ、原告と同じ兵士であったことなどからすれば、特に送金時期についての明確な合意もなされていない本件送金依頼契約において、残留部隊が送付・送金手続を執ったのが昭和二〇年四月になってからであったことのみで、これを右契約の債務不履行であると解することはできない。

さらに、終戦前の昭和二〇年四月の段階で、残留部隊において、満州国の消滅が必至のものと予想し得たとはいえず、本件で採られた方法よりも安全確実な他の送金方法が採り得たかも不明といわざるを得ない本件においては、残留部隊が本件送金依頼契約について、満州国郵便貯金への預け入れ、発行された払戻証書の送付という方法を採ったことが不当であったともいえず、右の点でも債務不履行があったと評価することはできない。

3  よって、原告の予備的請求はいずれも理由がない。

四  結語

以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 島田清次郎 裁判官 片岡勝行 柵木澄子)

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